中日ドラゴンズ 永久欠番 | |||||||||||||||
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戦前は投手として、ノーヒットノーランや20勝を記録。戦後は野手に転向し、1950年には46本塁打。戦争で肩を痛めたため投手を断念 せざるを得なかったが、野手としても非凡な成績を残した。戦争を跨いで活躍した日本一メンバー・西沢の15は中日初の永久欠番に。 | |||||||||||||||
主将としてチームを纏めた服部の本来のポジションは捕手だが、時には投手としてマウンドにも立つ、2桁勝利6度のエースでもあった。 中日の15と10は、西沢と服部を引退させるための「妥協点」と言われるが、両者を現代に伝える「語り部」的役割も確実に果たしている。 | |||||||||||||||
中日ドラゴンズ 準永久欠番 | |||||||||||||||
新人の年からスタメンの座を獲得し、現役引退まで中日一筋22年。中日4度の優勝と1度の日本一に貢献した「Mr.ドラゴンズ」。立浪の 引退後、球団が3番を与えようとした主力の森野将彦はそれを辞退。そんな3番は、吉川大幾から高橋周平と若竜に託され続けている。 | |||||||||||||||
前人未踏のNPB通算400セーブと1000試合登板を達成した「鉄腕」岩瀬。1年目からリリーバーとして活躍し、特にクローザーに転向して 以降はファンに勝利を約束し続けた。岩瀬の永久欠番でもおかしくなかった13は2020年から橋本が背負うが、自分の色を付けられるか。 | |||||||||||||||
中日ドラゴンズ 期間限定欠番 | |||||||||||||||
1939年〜1941年までプレーし、3年間で通算38勝。1944年に24歳の若さで戦死した村松の背番号18は、1950年まで欠番扱いとなった。 | |||||||||||||||
太平洋戦争時、神風特攻隊として散った伝説の投手。石丸が生きて戻っていれば、26が中日のエースナンバーとなった可能性もある。 |