広島東洋カープ 永久欠番 | |||||||||||||||
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1968年ドラフト1位で広島に入団した山本は、プロ入り最初の2年間は27番で、3年目から8番に昇格。1975年の広島初優勝時の主軸で 「Mr.赤ヘル」と呼ばれた山本。その背番号8は、広島が弱小球団から強豪球団に成長した記念碑的な意味合いも含んだ永久欠番に。 | |||||||||||||||
「鉄人」の異名を持つ衣笠だが、その由来はプロ入り当初の背番号が28で、漫画の「鉄人28号」に引っかけたものだった。だが衣笠は、 連日試合に出続け、遂には当時の連続試合出場世界記録を破り名実共に「鉄人」に。その衣笠を広島は永久欠番の形で称えている。 | |||||||||||||||
広島のエースだった黒田はMLBで成功を収めた後、公言通りに広島に復帰。チームの精神的支柱として、広島25年ぶりのVに貢献し、 その優勝決定試合では勝利投手になるというドラマ。チームの内外に強烈な影響を与えた黒田の15は広島3つ目の永久欠番となった。 | |||||||||||||||
広島東洋カープ 準永久欠番 | |||||||||||||||
「20世紀最後の200勝投手」北別府の20は、その引退から8年の空白を経て、2002年に自由枠で広島入りした永川に与えられた。結果、 北別府の213勝、永川の165セーブは、共に2020年現在の球団最多記録。昭和と平成の大記録に、令和の栗林はどこまで迫れるか。 | |||||||||||||||
現役時代はトリプルスリーを達成するなど身体能力の高い選手で、広島一筋17年の現役生活で優勝を1度経験し2000本安打も達成。 野村は2009年の監督就任時に77を選択。7年間空席だった7は、野村監督が育成に心血を注ぐ「鯉のプリンス」堂林翔太に託された。 | |||||||||||||||
プロ入り当初は37番をつけていた緒方だが、1995年に盗塁王とゴールデングラブ賞をW受賞し、翌年から9番に昇格。広島一筋22年の 現役時代はケガに泣かされたが、それは常に全力でプレーしていたことの証明でもあった。緒方の後は丸、秋山と左の好打者が続く。 | |||||||||||||||
2022〜 | 51→31→1と、出世魚の如く背番号を若返らせていた前田の大ケガは、日本野球界の大きな損失と言えた。打撃の求道者然とした面を 持ち、ファンからの支持も絶大だった天才が背負った1は鈴木誠也に受け継がれたが、鈴木のMLB転出に伴い、2022年から再び欠番。 | ||||||||||||||
プロ入り当初、打てず守れずと酷評された新井は、広島の猛練習の中で力を付け、主力打者にまで成長。阪神へとFA移籍した金本に 対する慕情と広島への愛情の間で揺れたこともあったが最終的には広島で栄冠を掴んだ。そんな新井の25は本人の監督就任で復活。 |