読売ジャイアンツの欠番


間違いが多々あると思いますので、お気付きの点があれば、ご連絡頂けるとありがたいです。
また、表から漏れている欠番があれば、その情報もお待ちしています。
なお、「メモ」として表に組み込んだ解説文は、管理人の主観が多少は含まれていることを御承知願います。

読売ジャイアンツ 永久欠番
欠番
選手名
ポジション
制定日
メモ
14
沢村 栄治
投手
1947/07/09
巨人黎明期のエース。巨人に初優勝をもたらした速球投手だったが、度重なる応召で肩を痛め、これが投手・沢村にとっての致命傷。
1944年12月に戦死した沢村の功績を称えて、終戦後の1947年に背番号14の永久欠番と沢村賞が制定。通算63勝22敗。防御率1.74。
4
黒沢 俊夫
外野手
1947/07/09
戦争で主力の大半を軍隊にとられた巨人が、球団史上初のトレードで獲得。移籍前年は西鉄で打率.190でしかなかったが、巨人移籍
1年目は打率.348。1947年に病死し、黒沢の遺言と球団の感謝の意から永久欠番に。通算打率は.259だが巨人での通算打率は.300。
16
川上 哲治
内野手
1965/01/18
入団時は投手だったため、本来投手番号の16が与えられたが、本格的な野手転向後も背番号は変更せず。首位打者5回、本塁打王
2回、打点王3回、最多安打6回の実績で「打撃の神様」の異名。V9達成は77番への変更後だが、16番での監督時代も2度の日本一。
34
金田 正一
投手
1970/04/02
享栄商を中退して国鉄入り。国鉄で複数回開幕投手を務めた唯一の投手で、国鉄時代通算353勝。巨人に移籍し、通算400勝を達成。
国鉄−巨人で背負った34は巨人で永久欠番になり、それが巨人入りの条件だったともされるが、400勝は十分に永久欠番級の偉業。
3
長嶋 茂雄
内野手
1974/11/21
王貞治と共に「ON砲」を形成し、巨人及びプロ野球人気が絶頂期にあった時代の主力。打撃成績は同僚の王に数字では敵わないが、
ファンの期待にプレーで応えた「Mr.ジャイアンツ」。巨人監督で唯一全順位を経験。選手としての瞬間最大風速はNPB史上最高クラス。
1
王 貞治
内野手
1989/03/16
長嶋茂雄と共にV9巨人の主力として活躍。公式戦通算868本塁打に象徴されるように、NPBの本塁打に関する記録の殆どを保持する。
監督として巨人、ダイエー・ソフトバンクを率い、セパ両リーグで優勝監督に。第1回WBCでは日本代表の監督を務め、初代王者に輝く。
読売ジャイアンツ 準永久欠番
番号
選手名
空白期間
現使用者
メモ
8
原 辰徳
2018
丸 佳浩
巨人生え抜きの選手に優先的に着用させる番号。1981年〜1995年までドラフト1位入団の原辰徳が背負い、原引退の翌年からは原の
承認のもと、ドラフト2位入団の仁志敏久が着用。かつての8番・原の監督時代には、移籍選手への「誠意」として示される感も受ける。
55
松井 秀喜
2003〜2008
2014〜2021
秋広 優人
「ゴジラ」の愛称で親しまれ、巨人の四番として活躍し、MLBでも見事な成績を残した松井の番号。「55=松井」のイメージが強いだけに、
期待を込めて55番を託された後継者には、嫌でも重圧がつきまとう。秋広はその重圧を跳ね返し、新たな55番像を作ることができるか。

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